★★★終わりなき 地獄の激痛物語★★★


  1993年〜 検査結果は異常なし?




それは、今からちょうど十数年前のある夏の夜に起こった。

夜、いつものように絶対誰も笑わないであろうバラエティ番組を見ていた時である。

突然、腰から下腹部にかけて生まれてこのかた感じたことがないような痛みが私を襲った。


忘れもしない この日の痛みがすべてのはじまりになる。 


いたっ!痛いなぁ・・・と言いつつ、引き続きテレビを見てヘラヘラ笑っていた。


なぜヘラヘラしていたか? 痛む原因は考えずとも分かっていたからである。

ちょうど月経がはじまった日だったからです。(これから月経ののことを女の証明と呼ぶ)

その痛みは、じわじわ時間が経つにつれ酷くなっていくようであった。



数時間後・・・・・


ううううー激痛い なにこれ 頼むよちょっと 痛すぎじゃん!

女の証明がこんなに痛いはずがない。 と思った頃には、半分動けなくなっていた。

それまでの私の女の証明は、普通の女性から考えると、本当に軽いものだった。

1日、2日の一番出血量の多い日でも、寝込むこともなく遊びまわっていた記憶がある。 

もちろん鎮痛剤なんて飲んだこともなかった。


でも、その夜は本当に痛かった。我慢が出来ないほど痛い。今思えば、その当時の

痛みは、今の痛みに比べると痛みと呼べるほどのものでもなかったと、今こうして

振り返って書いてみて思ったりしている・・・。



痛みと同時にこれは普通の痛みでないと思った。でも救急車を呼ぶほどでもなかった。

すぐに愛する人に頼んで、24時間営業の薬局まで鎮痛剤を買ってきてもらうように頼んだ。 

薬に詳しかった私は、痛みで食事がとれなかった為、胃をやられないよう
ちゃんと胃薬も頼んで

成分までもメモに書いて渡したのを覚えている。 
痛いわりに事細かい自分がそこにいた。


薬を飲んで、40分くらいで酷い痛みからは解放されたが、なんだかとても不安になる。

鈍い痛みがまだ少し残っていたからだ。これは絶対にただの生理痛でないと思った私は

あるひとつの病名がふと浮かんだ。 子宮内膜症である。


簡単に説明します。子宮内膜症は子宮内膜様の組織が内膜以外の部分にできる病気で、卵巣、卵管
腹膜上、腸の中などとんでもないところにも発生することもある病気。子宮内膜様組織が子宮の内膜ではなくて
子宮の筋肉の間にできたものを子宮腺筋症と言って卵巣など外部の臓器にできる外性子宮内膜症と区別して
内性子宮内膜症と呼びます。月経が来る度に酷くなっていくもので、現在の医学では完治させる薬はまだない。
妊娠が1番の薬であるというDrもいるが、不妊の原因のひとつにこの子宮内膜症がある為妊娠はしにくくなる。


私は、人間の身体には詳しい方だ。メディカルスクールで勉強をし、何十万もする医学書

1巻から30巻まで持っている。学生時代はただひたすら図書館にこもって、解剖学や

薬学の本を読みあさっていた。友達から何が楽しいの?と言われるほど人間の身体に

興味があった。 こーんな話はどうでもいい。 とにかく私はすぐに次の日に病院に行った。 

どんな検査をするかはだいたい想像がついていたので、ちゃんと局部を洗って
トイレを済ませた。 


完ぺき!


その病院は、以前膀胱炎になった時に通っていた個人病院で、詳しい検査が出来るような

病院ではなかったが、ちゃんとした婦人科です。なぜ大きい病院を選ばなかったか?

それは簡単な理由からです。 すぐに診てほしかったのと、行う検査は分かっていたので

取りあえずはその病院で充分だと思ったからである。

その病院でさらに疑いが出た場合、大きな病院に移る際、紹介状を書いてもらった方がスムーズに

進むのも知っていた。
思っていた通り、問診、内診、膣エコー、細胞診といくのだが、スメアは受けなかった。

 説明します。細胞診というのは子宮ガン検診<これからスメアと呼ぶ>のことで、細胞を
特殊な染色によって色をつけ顕微鏡で見て癌細胞の有無を診断するものである。


子宮の入り口を長い綿棒でこすり一瞬ツンとするような、なんとも言えない気分の検査です。

その当時の私の年齢からすると、まず子宮頚部の検診だけで、その他に子宮体ガン

というのがあるが、それはもっと年を取らないとしないのが普通である。

で、なぜ受けなかったか? 絶対に子宮内膜症だと思っていたので、大きい病院に変わる

思い込んでいる私は、そっちで受ければいいと思ったからなのです。

検査の結果を聞きにくることもまた大変なので・・・



検査の結果、異常なし。子宮もきれい。先生曰く、まだ若いから子宮口が硬く(膣ではない)

こういう痛みがたまたま起こったのでしょうという診断結果でした。

うっそ〜まじで? 「先生、私、子宮内膜症じゃないかと思うんですけど

そういう可能性はありませんか?真面目に痛いんですけど・・・病的な痛みだと思うん・・で・・・

ないです!!! あ、はい。・・・分かりました。 



これが、後になって大変なことになるのを、その時の私は想像すらしていなかったのである

病院を出た私は、そのまま本屋へと行った。どうしても内膜症が疑わしかったからである。

本と睨めっこをした。
 まるでその医学書コーナーは、私専用の書斎のようであるかのように

本が積まれていった。店員がいい加減にしてくれというくらい立ち読みをし続けた。


どう考えても内膜症の症状なんだけどなぁ。 うーん・・・どうなんだろうか うーん

でも、本にも確かにさっきの医者の言った通り、若い子は経産婦に比べて生理痛がひどい

場合もあるので、病院で膣エコーなどの検査をすれば内膜症であるかないかは

すぐ分かると書いてあった。 少しほっとした。 それに今日はそんなに痛くない。

しばらく様子をみようと思いその月はそのまま過ぎた。



私は昔から、身体の具合が悪くなると症状でどんな病気かがだいたい分かる。

それに病院が大好きでした。オナラの匂いが変わっただけでも病院に行っていた。

もちろん病気はない。おまけに疑い深く、神経質。医者の言ったことが信じられない。


だから人より多く色んな検査をする事になる。咳が出れば胸のX線。頭が痛ければCT。

しかし、胸のX線やCTは一瞬だけの放射で済むが、胃の検査などはそうはいかない。

バリウム検査となると、持続的にレントゲンを放射するので、病院のはしごなんかしてると

良い事はひとつもない。だから、胃カメラ検査を頼んでしてもらっていた。

あああ、また話が脱線した。 




そろそろ次の月の女の証明が近づいていた。女の証明もはじまっていないのに

なぜか一週間も前からお腹が痛い。 排卵痛にしては日数がおかしい。

女の身体は一般的な健康体の場合と周期の場合、排卵してから高温期に入り

2週間後には必ず生理がくる仕組みになっている。

じゃあ、このドーンとした嫌な痛みはなんでしょう?



次の日、また病院に行ってみた。今度は違う婦人科です。

一通り婦人科でやるいつもの検査をしてもらった。

きれいなもんですよ、病気らしいものは何も写っていないです。

大丈夫、ちょっと排卵が遅れたのでしょう。排卵痛ですね。という結果でした。

もう子宮内膜症を疑うことはなくなりました。だって2件も行って診てもらったんだから。



そっか、ただの排卵痛、あ〜良かった。スキップして帰りたい気分になった。


そして一週間後・・・


私は激痛で目が覚めた。 痛っ 痛いぃ いたいぃ!いたいぃーーー!

どぼじでごんなにいだいのぉぉぉ〜



痛いを通り越して、お腹が熱いのか痛いのか分からないような感じにまでなった。

こ、これは痛すぎる。
台所まで歩けない程の激痛である。

少しでも足を動かそうものならフーっと気絶しそうになる。

目の前が真っ白になる程の痛みをこらえズルズルと台所まで這って行った・・・

く、薬、ぐずり・・・・ でもあまりの痛みに手が痙攣して思うようにならない。


取りあえずお産の陣痛を和らげる時のような体勢にした。体勢にしたというより

身体が勝手にそうしていったのである。  

まずうつ伏せだった体を横向きにして、右足を胸の方に引きつけた。

しばらくすると少し痛みが和らいだ。人間の体は本当に不思議なものである。

この日以来、痛くなるとすぐこの体勢にするようになってしまった。



痛みが和らいでる間に薬を取って蛇口をひねり、流れる水をコップも使わず飲んだ。

胸までびしょびょになった。薬が効くまでずっとお産の陣痛を和らげる体勢で
苦痛に耐えた。

1時間くらいしてやっと効いてきた。1時間が1日に思えるほど長く感じた時でした。

みんなこんな痛い思いして毎月過ごしてるんだ。 

私は痛みをこらえながら友達や母を心から尊敬した。



私はもしかしたら、今まで女の証明が軽すぎて、
本当の女の月の苦しみを知らなかったんだと

つくづく恥ずかしくて情けなかった。

しかし、この痛みは耐えられるものじゃない。私は痛みに弱いのかもしれないと思った。

こんなことじゃ、結婚してお産をする時、産む前に痛みで死んでしまうんじゃないかと

真剣に悩んだ。そして、それからは女の証明が来る日の朝には、前もって鎮痛剤を

飲んでおくようにした。 そして1年があっという間に過ぎていった・・・。





その頃になると、なぜか焼肉のメニューにあるレバーのような血の塊が出るようになっていた。

でも私は2回も病院に行って何ともないと言われている。

神経質過ぎる性格は自分でも分かっていたので、これも女の宿命と、ただ痛み止めを飲んで

女の証明の日は、ただ寝ているようにするしかなかった。



それからさらに3か月くらいたったある女の証明の日。

いつも飲んでいる薬がまったく効かない日が丸1日続いた。

普通ならどんどん量を増やす人も多いが、私は必ず4時間はどれだけの強烈な激痛であっても

耐えて頑張った。
あと1時間、あと40分、あと20分、あと5分、あと4分、あと3分・・・

手には、お米が一口分とコップにぬるま湯を持っている (早く薬を溶かす為冷水は飲まない)

お米が一口なのは、胃の荒れを少しでも減らすように、吐きそうでも何か一口食べて薬を

飲むようにしていた。



もともとこの痛みのせいで胃潰瘍をも患ったので、胃には極力負担をかけたくなかった。

でもこの月はまったく一度も薬が効くことはなかった。

やはり一度大きい病院に行って診てもらおう。薬が効かないのはおかしい。



薬の知識がない人は同じ薬を飲んでいると同じ痛みでも慢性化して薬の効きが悪くなると

思っている人がいるかもしれないが、それは間違えで、その薬の量で効かないと

いうことは、明らかにそれ以上の痛みが何らかの原因で起こっていると考えた方がいい。



だから、動けるようになったら再度大きな病院でちゃんと診てもらおうと思った。

婦人科に行く時は、色んな検査のことも考えて女の証明が終わって数日後が一番いい。

そして、○○○大学付属病院の婦人科へ行くことにした。胃にもこれ以上負担はかけられない。

座薬は市販では売ってないので、いずれにしても病院に行くしかなかった。



映画、未来世紀ブラジルのような書類手続きをして、東大受験並みの問診表を書いた。

最終月経は?生理の周期は?性交回数は?などなど悩んで悩んでやっと書き上げた。



そして3時間待った。


またいつものように、同じ婦人科の検査を受けた。もう性器にトイレットペーパーが付いて

いようが何が付いていようがどうでもいいという気持ちだった。

私は医師にすぐこう言った。死にそうな痛みが女の証明時にあって気絶しそうになるんです。

飲み薬は胃が悪くなるので座薬を下さいと言った。


生理痛で座薬?痛みに弱いんだなぁ・・子宮はなんともないよ、症状から子宮内膜症を疑ったが

その気配もない。座薬出してもいいけど癌検診は一度やっておいた方がいいからやってくね。


はい。と私は答えた。 でも結局結果は聞きに行かなかった。

女医でありながら、あまりにも馬鹿にした口調が嫌だった。


子供扱いされて、痛みに弱い人間と笑われた。そばにいる看護婦たちも笑っていた。

私は会計をしている時、本当に私は痛みに弱い女で本当に皆の女性がこの痛みを

我慢しているとは不思議でならない気持ちでいっぱいだった。

座薬を使い出してからは痛みは嘘のようになくなった。
ただ血の塊が出るのが妙に気になっていた。

この塊が出るようになってからは、内膜症ではなく子宮筋腫を疑いはじめていたのだが

結局はそれも違ったのであった。


説明します。子宮筋腫というのは、子宮の壁にできる良性の腫瘍。女性の1/3ほどが経験するポピュラーな疾病です。
直ちに自分は病気だと思い込んでパニくるような病気ではありません。ただ出血量が多いと慢性貧血になることがあります。
私の頭の中に入ってる情報なので少し違っているかもしれないけど、そんな感じの病気だと思ってもらって結構だと思います。