★★★ 終わりなき 地獄の激痛物語 ★★★


 2007年〜 再手術に向けて




私が前回 (2002年) 広尾MCで手術をしてから、五年の月日が流れていた。

こんなことになって本当に信じられない気持ちでいっぱいである。


仕事もできなくなり、普通に生活することもできなくなり、眠ることさえも無理。

このままでは本当に死んでしまうので、昔やっていたホルモン療法で女の証明を止めることにした。

数年ぶりのあの薬のニオイ。 ものすごい副作用。 もぅイヤ。



再度手術をすることになった経緯はこうです。

もし今、当時のあの病院しかなかったら、もう手術をしようとは思わなかったと思う。



腺筋症に関する情報は、私の知らない年月の中で、目覚しい勢いで発展していました。

当時は、この病気の原因すら分かってないばかりか、婦人科でもこの病気をよく知るドクターも少なく

手術なんて絶対無理だった。

今も婦人科以外に行った時は、この病気を知らないドクターには、この病気の説明をすることが多い。



今度なったら諦めるしかなかったもの。

幸い普通の病院で、一部保険適用で手術を行っていることを知ることとなる。

異国かというほど遠い場所であったけど、現在過去に手術をした病院と、そこしかないという結論。

現にありません。


そして、過去をこうして振り返ってみると、今回手術をしても再発しないとは言えないものになる。

明らかに前とは違う思いで挑む手術。 希望も薄く先はとても暗い。

自害する勇気がないのなら、またそういう病院ができたなら・・・そんな思いで手術決意に至りました。



思えば私は、生まれて初めて女の証明がきて、数年後にはこの病気になり、なった日から

人生すべてをこの病気に邪魔されてきた。 本当に若い頃から。


女の証明を頭に入れてスケジュールも決めなくちゃいけなかったし、デートも旅行も仕事も何もかも

この病気に合わせる形で生きてきた。 皆が普通に当たり前に生きていくことが私にはできなかった。

楽しい日もあったけど、いつも頭の片隅にこの病気のことがあり、なんと言ったらいいか・・・・

なんの為に私は生まれてきたんだろうと何度も何度も思ってしまう。


しかし、私以上にもう一人辛い思いをしている人が存在する。 

それは母。 こんな私をずっと見てきて、私以上にきっと辛く悲しいことなんだろう。


今回も、高齢であることと、膝の手術をしたばかりで病院から許可がおりず付き添いはできない。


「私、絶対行くから。お父さんが反対しても私行くから」 


母の言ったこの言葉が今も頭から離れない。

だから、生まれてこなきゃよかったなんてとても言えないけど、私も相当今回は辛いです。


健康であること。いられること。それがどれだけすごい事か、改めて知った私です。

子宮の手術は今回で三回目。 腺筋症は二回目。 


頑張ってくるから!とは言えない複雑な気持ちで行ってきます。