★★★ 終わりなき 地獄の激痛物語 ★★★


 1996年〜 沢山の病気 私死ぬの?




最初に激しい痛みを感じてから、すでに3年の月日が経っていた。

月日が経つのは早いものである。この頃には女の証明でなくても出血をするようになった。

女の証明も10日くらいたってよやく止まるといったものになっていた。

正確に言うと、10日間月経があるのは普通ではないので、不正出血とみて間違いない。

一体私の体はどうなってしまったのだろう・・・ 不安で不安でため息ばかり。



このため息の癖が、また新たな病気を引き起こすことになっていく・・・。

その日は突然訪れた。恐怖の女の証明が来る3日くらい前だったと記憶している。

座薬をもらったからといっても絶えず使っているわけにはいかないことは知っている。

でも正直、4時間おきに入れないと気が狂うような痛みが全身を襲う。



痛みの表現はとても難しい。でも、なんとなく想像で似た感じのことは言える。

大きな氷の固まりを、お腹の上に押し付けて耐えている時に、骨盤を電気ドリル「強」にして

骨をドドドドッと砕いて、砕いている間に麻酔なしで股の付け根を思いっきり切り刻まれる。

そんな超ウルトラ激痛である。激痛というこの字は、あまりにも痛くなさ過ぎる字であるので

歯痒い感じさえするくらいの痛みです。




この時期になると、痛いという前に半分気を失うほどになっていた。救急で病院に行ったことも

何度かあった。でも検査をしても異常はない。どうして異常じゃないの?

そんな不安と恐怖から、ため息の癖と息を吸うのとのタイミングが分からなくなり吐くより吸う数が

多くなってしまうのです。そのうち呼吸困難になり、息を吸っても吸ってもどうにもこうにも

苦しくてめまいがして手足が痺れ、腰が抜けてしまいます。がくがくなりながら救急で病院へ

点滴、レントゲン、血液検査をした。診断結果は過喚起症候群。

この発作で過去何度救急で病院に行ったやら・・・

何度も発作を繰り返すと、これは過呼吸なんだと自分で分かるようになる。

でも、理解しているのに自分で治せないのがこの病気のやっかいなところです。


説明します。過喚起症候群とは、極度の不安に陥った場合や激しいストレスが原因でなる病気で、有名な人で言うと
数年前に自殺した 女優の可愛かずみさんがこの病気の発作で苦しみました。若い女性に多い病気で、症状はかなり激しく
まわりにいる人間が死んでしまうのではないかと思うほどのものから、私のように呼吸困難と手足の痺れ程度のものまで
症状はさまざまです。過換気症候群の場合は、酸素の量が増大することによって起こる息苦しさなので、死ぬようなことは
ないですが、また発作に見舞われるのではないかという不安感がパニックを引き起こし、何度も繰り返すやっかいな病気です。
発作時は、ビニールを口に当て血液中の成分を中和させるか、安定剤で治します。私は両方やってもなかなか治りません。





頻繁にこの発作を繰り返している頃、今度は胸と背中の痛みに苦んだ。

熱が出て息苦しく背中と胸が痛い。それに女の証明初日。
もーー最悪。

そして心臓の不整脈が連発。あまりの苦しさに窓から飛び降りて死のうと真剣に考えた。

私だけでなく家族みんなが私のせいで大変な騒ぎになり疲れるのです。


胸の苦しさは限界に達し救急車で病院へ。検査の結果、腎臓結石と多発性期外収縮と

また過喚起の発作でした。石は薬で溶かすことになり、血液検査の結果は白血球が多いと

いうことでした。一般に白血球が多いということは炎症を考える。


だけど医者は原因が分からないらしい。もっと詳しい検査するからもう一度血液とらせてと言う。

ナースに一言私は言いました。私、女の証明なのでそのせいではないですか?

きっとこの看護婦さんは、早く言えっちゅーのと心の中で思ったに違いない。



その時の私は、口きける状態じゃなかった。悪いとは思ったけどその時はまわりの人間が

うっとうしくてイライラするし、痛いし苦しいし悲しいし死にたいし、もう人のこと考えてる状態では

なかったのです。結局、抗生剤の点滴、痛み止めなど、あとは何をされたのか覚えてません。



病院を出たあと、1年間 相変わらずの激痛に苦しめられ、とうとう頼みの綱の座薬も効かなくなった。

というか、座薬の入れすぎでお尻も悪くなり、結局飲み薬に変えなくなくてはいけなくなりました。

そして、また胃が悪くなり、我慢ができないので今度は胃腸科へ・・・。



胃カメラ検査の時に、麻酔しないんですか?と聞くと危険だからしないと言う。

過去何度も胃カメラをしている私は、麻酔無しは私の場合どうなんだろうと思った。

結果、マウスピースで唇を切るほど吐いて血だらけになりました。

胃はただれまくりでどうしたらこんなに荒れるの?と私に聞く。

たぶん痛み止めの飲み過ぎです。と言ったら、
生理痛ひどいの?婦人科で診てもらった

方がいいんじゃないかな、あまり薬に頼るのはいけないよ。



あのね、私は激痛で死にそうなの!痛いというレベルの痛みじゃないんです。

自分でお腹切って見たいくらいの衝動にかられるほどの激痛なの!!!




その病院は、検査室の扉の外に洗面所があり、次の検査待ちしている人は洗面所の隣に

いる訳ですから、大泣きしながら怒り狂った女が、口からだらだら血を流しながら出てくる光景は

恐怖だったに違いない。 でもまじヘタだったから、検査技師の人(泣)




激痛続きの日々からさらに1年が過ぎようとしていた時のこと、ふとあることに気が付いた。

この女の証明の痛みは、年々酷くなっていくような気がした。不正出血もまだ続いていた。

焼肉レバーも続いていた。女の証明時でなくてもお腹が痛い。もうナプキンが手放せなくて

局所が炎症まで起こしてる。 これはさずがにヤバイような気がして来た。



思い切ってまた婦人科へ行くことにした。これで6件目の病院に行くことになる。

結構大きな病院で入院もできる。それに家から近い。

診察の結果、そのベテランらしき女医は流産してるという。 
はぁ???

りゅ、流産? 尿検査も陰性なのに流産?妊娠もしていなかったのに流産?

即、手術をするという。 いきなり尿道にカテーテル入れられて
 痛いぃぃぃぃっ!

ちょちょちょっと待ってよ。それ絶対違うと思うよ〜〜〜

とは言えないので明日にしますと言って逃げて出てきた。



その足で一番最初に行った病院へ行った。前のカルテも残っているし診察が丁寧で

優しい内診が気に入ってる。それにもともと○○○大学付属病院に勤めていたDrであることを

知っていたのでイザという時安心であると考えた。


「先生、私流産していると言われたんですけど診てください。もしそうなら先生に手術お願い

したいんです。」 ・・・そして、検査がはじまった。



なんと子宮外妊娠だという。それもかなり危険な状態で一刻も早く入院して手術した方がいいと言う。

確かに妊娠する可能性を否定できないことはしていたが、妊娠したという感覚がまったくない。

ここではちょっと難しい手術だから紹介状を書くからすぐにでも入院した方がいい。

大出血したらあっという間にショック状態になって死んでしまうという。 おーまいがぁー



結局そのまま○○○大学付属病院へ・・・

そして診察、妊娠はしていない(陰性)だけど妊娠しているという。?マークが飛び交う。

それもかなり珍しい子宮外妊娠で、普通卵管の途中に出来るものはあるが

子宮頸部に出来ることは大変珍しく、もし剥がれてしまったら大出血を起こして・・・

と、さっきの先生と同じことを言われた。 即入院。

絶対安静の身動きすらできない状態になってしまった。



大部屋だったので、早速両親に電話、すぐに個室に変えてもらった。

うちの父は少しばかり権力があり、こういう時はかなり手助けをしてくれる。

娘可愛さからか、私の我侭からか・・・痛みは人間の人格さえも変えてしまう。

すぐさま両親とDrと私とで話し合い。なんかとても偉そうなお医者さんまで寄ってきた。

かなり危険な状態で、それでまた珍しいものでもあり・・・どうたらこうたらむにゃむにゃ

これは学会発表もんです!とまで言われた。怖い・・・怖い・・・怖い・・・
私死ぬの?



手術の前の日、子宮口が狭いので薬を入れて少し拡げますからと言われ

ちょっと痛いけど 我慢してねぇ と明るく言われた。


そう言うえば、昨日診まわりに来た新米ナースが、みんな痛がるよ〜と私を脅していったこと

を急に思い出した。あとで、また診まわりに来たベテランナースに、みんな痛がるんだよね?

と聞いたら誰がそんなこと言ったの?と聞くから準看のナースが言ってました

と正直に答えた。 も〜しょうがないなぁ・・・と、慌てて出て行ったが・・・

もしも、私が言ったことで叱られてたら新米のナースに悪いことしちゃったかな

などと うだうだ考えてたら、次の瞬間 
うっぎゃぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!

何かキリのようなもので突かれたような痛みが全身に走った。


うぎゃゃゃゃゃゃややややぁぁぁぁあああっっっ!!痛いぃぃ痛い 痛い 痛いぃ


うをををををををぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぅぅぅぅぅぅぅぅうぅぅぅ   うっ


はい、終わりましたよ (陽気な声)     はぃ・・・・・・・・・(泣)


手術前夜は、ひろがる子宮口が痛くて一晩中眠れなかった。

血圧も上がってしまった。見回りに来た看護婦さんが血圧高いよ、大丈夫?頭痛い?と聞く

そんなことはどうでもいいんですけど眠れないんです。痛くて・・・と言うと、どうせ明日は麻酔で

寝ちゃうから大丈夫だよ〜 ね! と言われた。こういう場合は喜ぶべきか? 


そして私は手術をした。なんとか成功したみたい。でも、オペ室から病棟に戻るまで大泣きしていたらしい。

一緒にエレベーターに乗った人や廊下を歩いている人達が驚くほどの大声で泣き叫んでいたらしい。 



この 珍しいと言われた子宮外妊娠(謎)の手術。これが後ですべて無意味だったということが
なんと この一年後に、とんでもない形で分かることになるのであった。  つづく・・・