★★★ 終わりなき 地獄の激痛物語 ★★★





激痛物語の途中ですが、今月手術をすることにしました。(2002年)

本来ならば、激痛物語をもっと進めた状態で、術後に書こうと思っていた内容ですが

突然の手術決断により、十数年間の私の思いや病状を書くにはとても時間が足りません。

入院のことはもう皆さん知っていますし、激痛物語もすでに公開しているので、他事ながら

余計な心配を掛けるよりは、全公開した方が良いと思いここに書きご報告します。



手術決断



治す病気は、子宮腺筋症。激痛物語にも書きましたが、よく聞く子宮筋腫とはまったく

異なる病気で、今の医学では根治は無理という難治性の病気です。

しかし、私の場合、症状が落ち着き治まっていたので、病院に通うこともやめ

詳しい検査の結果、子供も産めるということで、敢えて健康体という言葉をトップで

使っておりました。

が、しかし、最近この病気に対して、新たに加わった情報もあり、根治手術を決意しました。

病気の内容や症状は、激痛物語で公開しているので省きますが、現在の治療方法などを

まず簡単に書きます。



腺筋症の症状を消す方法はいくつかあり、末期になるまでホルモン薬で女の証明を止め

閉経を待つか、強い鎮痛薬で痛みを止めて、子宮摘出手術を待つ方法。所謂、引き伸ばし

という方法。結婚している方ならば、子供を産み卵巣を残して子宮を取るといった方法が一般的。

しかし、ホルモン治療は劇薬な為、骨がボロボロになり、数回しか使用できない限界があり

若い人がなるとやっかいな病気です。



内膜症や、筋腫については、核のみを摘出する手術が従来からよく行われており、現在では

お腹を切らないで子宮だけを下から取り出すという方法もあります。

核のみの手術は、元となるものを切除するのではないので、数年後に再発します。



もう子宮はいらないという患者さんには、迷わず全摘を薦めるといった現状です。

しかし、子宮や卵巣を取ると、子宮喪失症候群という、ホルモンのバランスの崩れによる

メンタルな問題が後に残され、根治とは言えない複雑な状態に至ります。

ホルモンだけのことを考えれば、卵巣だけを残して子宮だけを摘出すればいいと思われる

かもしれませんが、大なり小なり障害は残ってしまいます。ですから、私はこの手術には反対で

これから物語に出でくるドクターも、勿論反対ということになります。






ドクターとの出会い


筋腫、腺筋症、内膜症=子宮摘出

この原則に不信を抱き、子宮保存という形でオリジナルの手術法により何人かの

腺筋症患者を救っておられるドクターを知ったのは約1年前。

ある一冊の本がきっかけである。



国内、国外でも行われていない特殊レーザーを使った手術法です。

一年も前から知っていて、何故もっと早く手術をしなかったか?

これにはいくつかの問題がありました。

有益と明らかに思われる医療でも、技術面で学会での反対も多く、また保険も使えない

実費という高額な手術だったからです。


また、私の病気は、一般の検査では分からず、今普通に病院に行って検査をしても

健康体そのもの。なんの異常も発見されません。鎮痛剤と体力さえあれば生きていける。

などと安易に考えほっておきました。

激痛物語のトップにも書いているように、今現在、女の証明時以外は苦痛もなく、健康で

こうしてパソコンもしている。



長い間この病気を抱えている私は、慣れと麻痺が交互にあり、今回の手術に踏み込め

ませんでした。ましてや何百万円もかかる手術です。 ・・・よく内容も分からない。

イコールまだまだ私は大丈夫。こんな愚かな考えで伸びていったと思います。



地元の病院にかかっていた私は、担当医にこの特殊な手術方法を話したことがあります。

僕が手術してあげるからやめた方がいいよ、と言ったが、再発を防ぐことは出来ないと言った。

数週間後、特殊レーザーの詳細が書かれていた書類と、どんな手術をしているかを詳しく

自分でファイルにまとめ、是非これを読んで下さいとドクターに渡した。

写真を見ただけで担当医は首をかしげ
『こういう手術はしたことない。僕には自信がないなぁ・・・』

でも、学会でこの話をしてみる。と言い、もしこれで本当に治ったらすごいなぁと苦笑していた。



この時点で、私の病気を治してくれるドクターは、地元はおろか、国内でも無理と言うことで

一時は、海外のロサンゼンスの病院に行って1度見てもらおうと連絡を取ったこともあったが

何度かの手紙のやり取りで、海外でも不可能という話で終わった。



手術について


メカ好きなドクターが独自で開発したレーザーで、普通の外科医では使いこなせません。

先生曰く、患者さんから誰かに引き継がれては?という質問に、教えることも不可能では

ないかと言う御返事をしていらっしゃいました。 とても残念なことです。

私が知った当時は、病例・術後のデーターもまだ少なく、失敗もあり、危険すぎると

認可も下りていない。

手術を受けるに当たってその病院に行ったのはたったの2回。

ここは病院?という雰囲気の中には、白衣も着ていないドクターと愛犬が一匹。

私が持って言ったMRIをじーと見て、こんな状態で、よく今まで耐えられたね、というような

何とも言えない表情をし、レントゲン写真と私の顔を交互に見て暫く経ったあと・・・


数値は? 『12.9です』

ひどい時は ?『調べてません』

薬は? 『リュープリン ナサニール6回目です』

他は? 『5年前、高度異型で円形切除しました』

月後ステージは? 『異常ありません』


これは、最初の会話。普通の病院の診察の会話ではないということが分かるでしょう。

ここに来る患者は、すべての病院で見放された患者ばかり。

少なくても何年も苦しんでいる人達な訳で、一通りの知識があるのをドクターは知っている。

数値はと聞かれればヘモグロビン(貧血の具合)のこと。

ひどい時は?の意味は女の証明時のヘモグロビン。

他は?とは、合併症があるのが8割の病気なので、そのことを聞いています。


『こんなのどこに持ってっても手術なんて無理だろう。ここまで酷いのはやったことないけど大丈夫

治せるよ、任せなさい。
2階に昨日手術をした人がいるから話を聞いて帰りなさいね』 と言った。


2階に行くと、元気におしゃべりしている患者さんや、バイハザに出てくるゾンビのように

廊下を歩いている術後の患者さんたちがいた。

遠くから聞こえてくる会話には、海外、北海道から九州、私の地元の愛知の人もいるようだった。

あまりの診察の呆気なさと、本当にこんな手術が出来るのか?ということが頭いっぱいで

他の患者さんの話を聞ける状態ではなかった。

そしてそのまま事務室へ案内され手術にかかる費用を聞いた。

最初、1000万くらいかかると思っていたが、2、3百万ということで少し安心。



帰りの高速はどうやって帰って来たかは覚えていない。

この痛みと本当に別れられるの?再発は本当にしないの? 正直何も考えらなかった。

家に帰り、一晩考え、私を救ってくれるのは、もうこのドクターしかいないという考えに至り

次の日、早速手術の予約を取った。そして私は今月手術をすることに致しました。



神のみぞ知る


長く書きましたが、これは最高に短く書きまとめたつもりです。

もっともっと書きたいことはありますし、書き足らない部分が多いです。

詳しいことや裏話は、治ってから書きたいということで、細かい心情などは省きました。

伝えたい言葉や言いたい事柄が、うまく伝わっているか・・・まったく不明。


今回の手術はだいたい3時間から4時間くらい。麻酔もほんの少し使うだけで痛みはあるらしい。

何センチ切るかは分かりませんが、開腹手術にも関わらず、術後の痛み止めはなし。

激痛を10年も我慢できた私なら、耐えられるものなのかもしれませんが!?(笑えない)

物語に出てきた 『どれだけの人間にこの病気の痛みを馬鹿にされたか』




激痛激痛で何度も死を考えた時

痛みでひねくれて当り散らし、人のせいにばかりしてた時

治る病気でないと知った時

人への殺意と絶望で外に出られなくなってしまった時

結婚も子供も諦めなければならなくなるの?と悩んだ時




激痛で逃げ場も無く、ただ痛みに耐えてきたこの十年間が終わるかもしれない。

終わりなき激痛物語が終われる物語で完結するかもしれない。

嘘のような信じられない話です。
痛みのない暮らしを送れるなんて夢でも無理だと思ってた。


現在、これ以上やってはいけないというホルモン薬を使っています。

死んでもいいから使ってくれと頼んで使いました。

だから体中の骨が鳴る。鬱と更年期の副作用もひどい。ストレスで胃もただれている。

そういった不安解消の安定剤で頭もふらふら。でもこれが私にとっては普通の健康状態。

とても幸せな状態なのです。それ程痛みは辛かった。


成功するかしないかは分かりませんが、後悔は絶対するまい。

私はこの新しい手術法に賭けてみようと思います。

またみんなと馬鹿話が出来る日が来るのを信じて頑張ってきます。

そして、きっと元気になって帰ってくると約束して、このご報告を終わります。




追伸
この手術時のレポートと術後報告などは、トップメニューの中にあります。
(2002年に手術をし、2年後の2004年に詳しい検査にて再発を確認しました)