広尾MC手術前日<2002年 6月11日>


手術を受けるまでに病院に通った回数は合計2回 <簡単な診察と術前検査のみ
手術当日、愛知から横浜まで車で行くのはこりゃ大変だなぁということで前日に
横浜のインター近くで宿泊。

夜9時に、術前検査の時に貰っていた下剤を2錠と安定剤を飲んで、絶飲食なので
ギリギリまでミネラルウォーターを手に持って、まだあと1分あるぞぉーー飲んどこ。
お風呂に入って、お腹を触り、明日の手術の成功を祈る・・・。
夜、神経が落ち着かず、なかなか寝れなかったが知らぬ間に寝ており朝になってました。


広尾MC手術当日・入院1日目<6月12日>


手術は1日に3人行います。 順番は、軽い症状の人かららしい?(院内の噂でした)
順番は当日教えられるが、取り合えず、8時半までに病院にという話だったので
と・に・か・く慌てました。 道がめちゃくちゃ混んでおって・・・
途中遅刻しそうだったので、電話を入れたら
ゆっくり着てください とあっさり言われる。

病院に着いたら、誰もいない。 私は、下剤の効果がないので不安になり、WCに行って
ビデを使ったりしていたが、考えてみれば数日前からほとんど何も食べていないので
出るはずもなく・・・。

暫く待っていると、看護婦さんが来て、ピンクのリボンが付いている部屋に通されました。
ピンクって私の一番好きな色・・・・・・そんなことはぜんぜん考えられませんでした。

手術の準備が当たり前のようにテキパキと進んでいく。
浣腸をして、背中からお腹をキレイに剃られ、問診をいくつかされ、血圧を測り点滴。

私何番目ですか?最後ですよ。 ガーン!
と言うことは、一番重いってことやんか・・・1番最初だとずっと思っていた私は
かなりのショックを受けたのでありました。

私の手術の時間は2時半頃とのこと。長い時間を待つことになったわけですが、のんびり
テレビを見ていたら、あっという間に私の番が来て、帰りたいと言い出してしまった。
じゃ、帰る?と看護婦さんに言われ いえ、帰りませんと言い、歩いて激眩しい手術室へ。

ガンガンにレゲエのBGMが鳴っているみたいなのだが、私にはほとんど聴こえない。
やっと寝れるくらいの手術台に自分で乗る。

先生がそばに来て、そろそろ手術もはじまるというのに、意識はめちゃくちゃまだあるので
興奮してしまって、甘えたり叫んだり・・・ もう大変なことになっていたようです。
と言うわけで、途中から全身麻酔に切り替えられてしまいました。

目が覚めたら、さっきいたベットの上でした。 看護婦さんが横で何やら説明している。
暴れたので全身麻酔に切り替えました・・・とかなんとか。
部屋の片隅に取り除かれたモノが、プラスチックの小さい入れ物に入れて置いてあるのが
見えた。鶏肉みたい。

背中に細い麻酔の管が入っているんだけど、効いてるのか効いてないのか・・・
体はまったく動けない。いや、動かない?
お腹がすごく痛い。痛くてわけの分からないまま眠れない一夜を過ごした。


広尾MC・入院2日目<6月13日>



午前9時半頃、看護婦さんが来て、いきなりベットを起こされた!(おーい)
はい。起きて下さい。歯を磨いてパジャマに着替えますよ。

はぁぁ?そんなの無理!
 昨日お腹切ってまだ数時間しか・・・経って・・な・・い
などと思ってる間に、完璧上半身起こされてました。 それで、立てと言う。
麻酔がまだ背中に入ってるし、管だらけでスパゲティ状態なのにと、またぶつぶつ言ってる
間に、片手でひょいと立たされた。 なにすんの! あ、立てた。

勘弁してよ、少し寝かせておいてと頼んだが、ぜんぜん駄目で、早く早くとせかすので
仕方なく歩こうとしてるんだけど、実際は歩いてはいない。(笑) 
ヨチヨチ歩きで、右手右足同時に動いてるし、そうこうしている間に廊下へ連れ出され
一緒に手術を受けた残りの2人の人に挨拶をしに行きました。

とにかく痛い。痛い。お腹が自分のじゃないみたいに痛い。
手術2日目の看護婦さんと私の会話はこれです↓

ナース
 「はい、起きて!歩いてぇ♪歩いてぇ〜♪」 
私 「ムリ、駄目だってば」 延々とこれの繰り返しでした。

夕方、先生が
すべてうまくいったから と言いに来ました。
寝ながらお礼を言ってたら、今度は先生に起こされました(涙)

夜、ヤクルトのようなものと、お茶、野菜ジュースのようなものが出されたが食欲0。
全部残して寝てました。痛い痛い・・・


広尾MC・入院3日目<6月14日>


夜中(実際には13日の夜中)ガスが出なくて苦しくて仕方ないのでナースコールしました。
出ないことにはどうしようもないと言われ、納得したのだが・・・

1時間後ナースコール<ポーン

2時間後ナースコール<ポーン


3時間後ナースコール<ポーン

とうとう相手にされなくなったので、私はパジャマのまま、非常用の扉から脱走してしまいました。
今考えるとゾッとします。

管からは、お腹の中の要らない血や不要なものを出すドレーンという管が付いていて
水筒のようなものにそれが溜まる。ほとんど血なのだが、その管を出したまま、ひたすら堤防を
駆け走り、タクシーを捕まえて、違う病院に行ってしまったのです。


川崎辺りの病院までタクシーで行き、緊急外来に行って受付で色々訴えたのだけど、なんせ
パジャマ姿で、ドレーンもついたままなので、怪しいさ極まりない状態です。
そこに急患も来て、私は緊急外来の椅子に座って、暫くぼーっとしていました。

そこへ一人の看護婦さんが来て、私を見てびっくりすると同時に事情を聞いてくれました。

昨日オペしたばかりで病院抜け出したらすごく危険だし、病院側もすごく心配してると思うから
帰った方がいい。病院にはこちらから電話しとくから、このままタクシーで元の病院に帰ってね。

一旦、タクシーに乗り、病院に向かうつもりだったんだけど、どうしても帰りたくなくて、運転手の
人に頼んでドライブしてもらいました。(前日にお腹を切っているのにドライブとは・・・・・・怖)

少し話し相手をしてもらってるうちに、気持ちが落ち着いたので病院に戻りました。
帰ってからは、看護婦さんは優しくしてくれたけど、脱走するなんて話は、病院始まって以来初の
出来事で、先生からはもう治療はできない!このまま名古屋に返す!と言われてしまいました。

術後二日目で走ったりしたせいで、熱が出て、次の日からまた点滴がはじまり、先生も異常が
ないことが分かってからは、普通になりましたが、今度はもっと私がおかしくなってしまいました。


広尾MC・入院4日目<6月15日>


おかしくなって次の日、もっともっと私はおかしくなっていました。

病院すべてが架空の物で、先生や看護婦さんは俳優・女優。患者さんはエキストラ。
何もかも、私を陥れようとしている罠などと言い出し、先生はマジやばいと思ったらしく、麻酔の
副作用で、私の頭がいっちゃったと思ったらしいです(後で聞いた話)

夜な夜な院内を徘徊し、先生の部屋に勝手に入り、べったりくっ付いて離れられなくなり
あの看護婦さんはタバコ臭いから変えてとか (私は院内ではタバコ嫌いで有名だったので)
先生が寝てからは、看護婦さんを独り占めして一緒に寝てもらったり、今考えるとマジで頭が
おかしくなってたみたいです。今考えても、どうしてそんな行動を取ったのか、いまだに不明。

広尾MCでは、今も私のこの武勇伝を患者さんに話して聞かせているそうです。


広尾MC・入院5日目<6月16日>


頭がおかしくなったまま次の日、お腹の傷の痛みは、日に日によくはなっているものの
ガスが出なくて恐怖。とにかくお腹が張って苦しくて苦しくてたまらない。
血圧も高く、ふらふら。まだ頭もおかしいままで、苦しのだけど、また先生の部屋に勝手に入り
カルテを書いている側でじーっと座って話をしてたりと、散々我侭放題させてもらいました。

退院も近いと言うことで、一階の個室から二階の個室へ移動し、週一に行われるお茶会に参加。
一緒に入院した人達と先生と、一緒に豪華な食事をしたりするのが広尾MCの恒例行事です。
だけど、豪華な食事を目の前にしても、みんな食欲はありません。
まだ腸の動きが悪いので、一口か二口食べるのが精一杯ってところ。

この頃から、頭の異常が消えてきて、数日おかしかった数々の行動を看護婦さんや先生から
聞くのがもー恥ずかしくて恥ずかしくて。 一体あれはなんだったんでしょう?


広尾MC・入院6日目<6月17日>


退院当日。最後の診察を受けて、傷の具合を診てもらい、先生やスタッフのみんなに見送られて
車から手を振り
元気にしてくれてありがとう の笑顔で名古屋の自宅に帰りました。

帰ってから暫くは、腸の動きが気になって、なかなか食事がうまく取れませんでしたが
日に日によくなっていった私でありました。


※術後の様子は、術後報告をご覧ください。

                                                    完