★★★ 終わりなき 地獄の激痛物語 ★★★


  恐ろしい自分




(注 激痛物語6はかなりヤバイ発言が出て来ます)


入院中の話をする前に、どうしても書かなくてはいけないことがある。

この話は本来書きたくないが、事実であり、この先の物語に影響してくるものである。



病気になった人の心の苦しみは、軽い・重い病気に関わらず、かかった本人にしか

分からないものです。伝える言葉として色んな言葉を使えば
痛みは何とか想像できるでしょう。

しかし、心の中を理解し、想像することはとても難しい


風邪のようなありふれたものであっても、その人にとっては、かかっている時は苦痛。

それに伴う心の状態も、最悪というなら最悪なのです。


だから病気に軽いも重いもないと思うのです。

だから、病む人に、あなたは軽い病気だからいじゃないなどということは、まかり間違っても

言わない方がいいと思う。どういうことか書いていきましょう・・・。



4年前に初めて病院に行った時に、私の病気がもし発見されてたら・・・

そんなことばかり思ってた時期があった。ちょうど入院する少し前の私の心の状態である。

私は、あの時スキップして帰った自分を呪いたくなる気持ちになっていた。


悔やんでも悔やみきれない自分がそこにいた。


もしあの時分かっていたら、私はすぐさま結婚して子供作っていただろう。

まだ若かったので結婚を前提にするものではなかったが、ちゃんと相手もいた。

私の病気は進行すればするほど子供が産めなくなる。



病気が進行して激痛がよりひどいものになった時、私は6軒の病院をそれぞれ恨んだ。

N病院でこの病気が分かるまでに、5年の月日を無駄にしたのだ。

激痛が、心の奥底に潜んでいた悪魔を呼び起こしたような時期だった。

後にも先にも、今まででこれほど醜い自分になったことはない。



それは、日増しにどんどん恐ろしいものになっていった。今、書くのも
ぞっとする。

でも確かに辿った道であり、こういう状態が続いたのも事実である。

私は、痛みを人のせいにするのが当たり前になっていった。

病院を恨み、ダイオキシンを恨み、この病気になる原因のすべてを恨んだ。



テレビに映るすべての人間にこうつぶやいた。あんたは痛くないんでしょう。

デパートに行けばレジ係を見て、あんたは痛くないんでしょう。道行く人を見ては

あんたは痛くないんでしょう。ひどい時は、アニメの中の架空の人物にさえつぶやいた

あんたはアニメだから絶対痛みなんて知らないんだろうね。


夜明け前、新聞屋がドアポストに入れるガチャンという音を聞くと、配達人の姿が

見えなくとも足音につぶやいた。今の人は走って行った。あんたは痛くないからだ。

愛する人さえも憎んだ。あなたは痛くないんでしょう。



昔、「ちょっと聞いてよ」で、デパートのカートの話をしたことがある。

激痛の時、唯一飲めるのは水だけだった。 一週間は動けなくなるので、その水を買いに行った。

でもその日は、歩き出したらかなりの痛みが起こってきた。冷や汗が出てきた。

少し立ったまま休もうと柱のところにもたれた。


すると、いきなり子連れの親子にカートで突き飛ばされ、邪魔だねぇと言わんばかりの

顔をされた。そして去り際に母親は子供に、今のお姉ちゃん邪魔だったねぇ。

フラフラしてると言って笑った。



私は突き飛ばされた拍子に柱に思いっきり腰を打って夜熱が出た。

これは「ちょっと聞いてよ」にも当時書いた。

ダミアンデパートと読んでいたのはそういう意味からである。



こういうことが続いたあと、私は子連れの親子を見るとカートで突き飛ばすようになった。

その辺にいる子供がいる女のすべてを殺したくなった。もう世の中みんなを恨んだ。

幸せそうな子供連れを見ると殺したくなった。殺しまくって自分も死のうと思った。



ある時、出血がひどくて用意していたナプキンが切れてしまいコンビニに買いに行った。

私の顔色を見て若いバイトの店員は、私が店を出る時、他の店員に
きもちわるぅ〜と言った。

私は障害者ではない。だから仕方がないと思った。見た目は普通なのだから。


もし私が車椅子だったら、車椅子で顔色が悪かったらあの店員はそんなことを言っただろうか。

私はいつも言われた。あんたは障害者じゃないんだから幸せだわ、と。 確かに今思えば

その通りかもしれない。でもその時の私は障害者さえも呪いたかった。


足がなくたって痛くないじゃない。手がなくたって痛くないじゃない。

みんなが助けてくれるじゃない。車も一番近いところに止められるじゃない。

私はどれだけ痛くてもそこには止められないのよ!どうしてこんなに差別されるのよ

私の痛みを一秒でも味わってみなさいよ 最後は犬にまでそう言ってた。



お腹が痛い、心も痛い、痛い痛い痛い。

この数年間痛いという言葉を何度使ったことだろう。


誰かが痛いという言葉を言っただけで全身に震えが来るほどであった。


そしてそれから二度と、女の証明時に外に出ることはなくなった。

この今日までの4年間、私は一度も外には出ていない。

それ程のショックを心に受けた。



家の柱に頭をガンガンぶつけて泣いたことも数え切れないほどある。

下の住人にうるさいと苦情を言われ、タオルを口に押し込んで痛みに耐えたこともあった。

痛みでひきつけを起こして、失神したようになったこともある。


その頃は、病気のせいで働くことも出来なかった。働きたくても働けないのである。

愛する人がすべて面倒をみてくれた。感謝しても仕切れないのは分かっていても

怒鳴ってしまう。この痛みが悲しいほどにゆがんだ私にしてしまう。



女の証明は月に1回来る。その月の半分が激痛である。出血で貧血になる。

女の証明時でなくてもお腹が痛い。女の証明になればさらに超激痛。


この激しい痛みは何故ここまで痛いのか。腺筋症は内膜症と違って子宮の筋肉の中に

内膜組織とよく似たものができる。それが月経の度に同じように出血し、内臓と内臓を

癒着させてしまうのである。腸、膀胱、肺に出来ることがもある。

そういう時は月経の度に吐血することになる。私はそこまでは酷くない。

でも痛みは同じであるに違いなかった。医者はなぜそれをほっておくのか?

治す薬がないのである。痛み止めで抑えるしか方法がないのである。



愛する人は、私の為に何でもしてくれた。でも仕事中は頼るわけにはいかない。

トイレに行くのにとにかく時間がかかった。

まず、かなり耐えられなくなるまで我慢をする。


そして耐えられなくなるその前に動く準備をはじめないと間に合わない。

まず足の指を動かしてみる。動くのが確認できたら足首、ほんの少し動かすだけでも

激痛が走る時があるのだ。痛いなんてものじゃない。

お腹の中で組織が血を噴出しまくっているのだ。


そして机に手をついて数分待つ。膝をついて数分待つ。それからは立つことはしない

這ってトイレまでいくのです。少し、また少し、到着までの最高記録は2時間である。

尿も普通に出すことはできない。一気に出すと出し終わった後、くっついた内臓が激痛を

引き起こして息が詰まってしまうのである。

おむつを買おう真剣に思ったこともあった。でも私はビデを使って局部はいつも綺麗に

していたかった。いつ病院に運ばれてもいいように。



唯一この時期優しくできたのは、私の痛みを止めてくれる座薬だけだった。

トイレでひとりでつぶやく、今の私はあなたを頼るしかないのです。

どうか一秒でも早く私を助けて下さい。

私の痛みを分かってくれる、たったひとつの見方がこの血の通ってもいない薬なのです。

今思うとぞっとするような話である。でも、忘れてはいけない自分でもある。



私の痛みは毎月子供を産んでいるようなものであると考えていた。

子供のいる友達にそのことを言ったことがある。あんな痛み耐えられる訳ないじゃん

死んでももう産まないと友達はいう。

私はこの痛みが陣痛ならどれだけでも耐えられるような気がする。

出産の痛みに耐えられるのは、生まれてくる子供を持つという喜びが

あるからだと思う。だから女はその子見たさに頑張るのです。


私が運良く子供を授かったら、陣痛はきっと痛みに感じなくて、とても楽な

お産にるよねと、いつも笑って友達に言う。 そして心が痛くなる・・・


つづく