★★★ 終わりなき 地獄の激痛物語 ★★★


1999年〜 検査と入院 




コルポ検査当日、このとても痛そうな検査のことが朝から気になって仕方なかった。

この4年間、ずっと私は痛みというものから解放されていないのである。

やっとその痛みの原因が分かったと思ったら今度は癌かもしれないぃ?

マジ勘弁してよ〜 という気持ちでいっぱいだった。

婦人科の内診でさえ痛みを伴うというのに、そんな敏感な部分の組織を切り取るなんて

絶対に痛いぞーと、ぶつぶつ言いながらもとにかく準備である。

 


病院に着き、待つことなくすぐにコルポ検査をはじめるようであった。

局部に眩しいほどのライトが当てられた。少しその敏感な周辺部分が熱くなった。

コルポを受ける前に、看護婦さんから、やっぱり敏感な部分を切るわけですから

少し痛みがあります。と言ってこんな感じと言いながら、許可なくいきなり私の腕の

内側をつねった。なにするの! 麻酔はしません。いいですか?

いいもなにも麻酔ないんでしょ? だったら我慢するしかないでしょう・・・です。

 

さ、はじめますね。すぐに終わりますから。みんないつもそう言う。すぐに終わりますと。

でも決してすぐには終わらない。

 

少し痛いかな いや痛いな ・・・ いや絶対痛い いだいー いったぁぁぁい!!!

私は絶対に痛いとは言わないでおこうと朝から心に決めていた。

でもこらえられなくなって先生に言った。 すいません。かなり痛いですがまだかかりますか?

いえ、もう終わりましたよと言われた。 終わったのに痛い?いや、終わったから痛い?

切ったから痛いんですよ!と私の腕をつねった看護婦。

そっか、切ったんだ。そりゃ痛いに決まっている。

 

私は検査料を払う為1階の会計に行った。

すごい人、さすが大病院。組織をちょろっと切っただけなのに子宮全体が痛い。

取り合えず早く座りたかった。でも席が空いていない。とその時ひとつだけ席が空いた。

この会計には薬をもらう人や入院手続きやら、ただ うだうだ
おしゃべりしている人もまとめて

座る場所である為、なかなか席は空かない。


あら、元気?久しぶり〜ちょっといやなところで会うわねぇ〜あはははっ(殴)

このおしゃべり民族さえ消えてくれれば沢山の人が座れるのにと思った。

 

私は、やっとひとつ空いた席に座ることができた。すごくお腹が痛い。早く会計して帰りたかった。

と、そこに妊婦が一人来た。そして私の横に立った。検診にでも来たのかな?

羨ましかった。 私はこの先、子供も産めないであろう。

もしかしたら子宮も取ることになかもしれない。

検査結果が悪くてヘタをすると死んでしまう運命かもしれない。 いいな、本当に羨ましい。

などと考えてると、何故かその幸せいっぱいの妊婦は私をじっーと見た。

な、なに?痛さが顔に出てる?私ってそんな具合悪そう? 


いーーーーーーーーーーーーえ ぜーーんぜん違ーーう


席を譲れという目であった。 私はすぐにそれを察知してその妊婦にここ空きますからどうぞと言った。 

私はまだ座って3分もたっていない。会計はたぶん1時間はかかる。

席が空くといってしまったからその場にはいられない。禁煙所の横の柱に隠れることにした。

1歩が痛い。2歩が痛い。3歩が痛い。・・・泣きそうになった。


席を譲ったことに泣けたのではなく、外見がまったく病気っぽくないのにこんなに

辛いことに泣けたのだ。柱の陰から、私はまたその妊婦を見た。

大きなお腹をさすっている。ものすごく羨ましかった。


痛みがまた強くなった。 痛みで右足が少し痙攣している。

私はなんて損な人間なんだろうと情けなくもなってきた。

堂々と座っていれば良かったじゃない。あんた痛いんでしょ?

と、もう1人の悪魔な私が私に話し掛けてくる。もう席が空いても座れはしない。

空いたところに座れば、さっきの妊婦に変な気を使わせてしまうと思った。

私は少しの後悔をこういう理論でまとめはじめた。


あの妊婦は、実は幸せじゃないんだ。きっと末期癌でありながら、命がけで出産しようとしている

すごい人なのだ。そして、旦那には先立たれ、身よりも
人っ子ひとりいない可哀想な人なのだ。

だから、私が席を譲ったことによって
あの人は数少ない喜びを今ひしひしと感じているのだ。

そうだ。これで良かったのだ。
 ものすごい理論である。

結局会計は50分程かかった。もう勘弁してよ〜 ・・・本当に勘弁してよです。

 

一週間後、検査の結果が出た。子宮頸部高度異型上皮。

ほっとておくと癌になる可能性もあるといった状態。

コルポ検査の結果 幸い上皮も癌にはなっていなかった。

レーザーメスによる円形切除をすることを自分で決めた。(通常はしません)

私は癌になると嫌なので手術を受けることにしたのです。

ベットは1ヶ月待ちという話でした。早速また父に電話。理事長に話してもらって

次の日にベットを空けてもらうことになった。

こういう入り方すると、あとで事務関係者<ベットの空き調整したりする人>に嫌われる

のだが私は待っていられなかった。それに個室は絶対に空いているに決まっている。

 

次の日、入院する荷物を持って病院へ行った。

少し行くのが早すぎたらしく個室はまだ掃除中。

少し待ってくれれば空きますから待合室で待っていて下さい。さっき亡くなられたばっかりなので・・・

と言われた。・・・・・・さっき? 

そういうことは言わないでほしいと思った。
私は気になってその個室を見に行った。

どんな場所にあるかも気になったし、待ち時間もあった。

 

その個室のドアには、まだ面会謝絶の札と重そうな扉の横には赤い札が貼ってあり、酸素ボンベや

いろんな機器が所狭しと置いてある。


私はすぐにUターン。ナースステーションにいる事務女に大きな声でこう言った。

4人部屋でいいです。

え、そんなこと急に言われても個室しか空く予定がありません。4人部屋は、今日入る予定の人が

3か月待ちで昼から来るのでちょっと無理です。と言われた。

すると、その光景を見ていたベテランナースがこう言った。

いいの、今空いてるんだからすぐ準備して!と言ってくれた。

後に、このナースが私の担当ナースになる。

 

なんだかこの話をすると、私がとても我侭に思うかもしれないけど、私が入院する病棟は

ほとんどが癌患者で、右を見ても左を見ても癌の人達ばかり。

と言ってもその時点では聞いた訳ではないが、ひと目見ればそれが分かります。

たぶん、午後から入ってくる人は癌ではなく、筋腫かそれほど急ぐ患者さんではないと想像できた。

 

私はそのベテランナース<後で聞いたら主任でした>にお礼を言った。

いいの、気にしなくても。それよりいろいろ案内するね、それに聞きたいことが

いっぱいなの、大変だけど一緒に頑張ろうね。いやたぶんそれ以上の優しい

言葉を言ってくれたと思う。患者に接する態度も、フローレンス・ナイチンゲール

もびっくりもんではないかと思うほど立派なもので、的確な判断と行動力があり

素晴らしい人だった。私との相性も合った。

 

一度二度入院すると、ナースとの相性というのがいかに大切かが分かってくる。

私は生まれてから合計今までに5回入院しているが、この相性の良し悪しは医師に関しても同じだが

非常に病気の回復度に影響してくるものだと私は思っている。

そして、予期せぬ恐怖がこれからはじまるであろうことなど知るはずもなく

私の入院生活ははじまったのであった。

 

つづく・・・